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2016.01.24

雑記。 / 松本大

思いっきり立ちはだかった壁に対して攻略法を模索し続けているのだけども、いよいよの所まで来たので一度整理も兼ねてこれを書いてみる。その「いよいよのところ」というのもむしろ悪い方に働いているので、現状かなりヤバい。というのも相手は「歌詞」なのである。


20歳を迎えて以降、一度として悩まずに書けた事はない。だから今、10代の力は不思議だなぁと思う。昔は石油王のように掘り当てていた気がする。まぁ書きたい事はいくらでもあるのだけど、ひとつに対する価値観が変わったのかもしれない。10代の頃は「恐れ」とか「悩み」とかなかったし、なにより世界はとても広かった。何も知らない、というか何もない。だから思い浮かぶ全ての事や感情を言葉にしては街を建てていた。それもそれで良かったんだと思うけど、いつからかその街に住み始めたのかなとも思う。世界は広いのだから、街に腰を落ち着かせていても景色はそこまで変わらない。「当然」という言葉がよく似合う。開拓せねば。


あとでその時期の事を忘れないように歌詞を書き始めた日付も一緒に残すようにしているのだけど、今書き終えなければならないこの歌詞なんて、日付が去年の5月になっている。意味がわからない。その曲の心臓は一度もぶれていないのだけど、少し自分を疑ってしまう。


物覚えはとても良い(と思う)のに、自分の事となると途端に覚えていられない事が多くなる。「あれ、俺そんな事言ったっけ」とか何回言ったかな。発言だけじゃなく、自分の歴史に於いても抜け落ちている事が多い。特に10代後半の記憶がほとんどない。抜け落ちているというよりは削除したのかもしれない。もしくは記憶に残るほどのものでもなかったか。どちらにしてもすごくもったいない事をした。人生は一度きりで、あの頃を取り戻す事はできない。ほぼ平等に時間は流れていくのだから、取り戻すも何もちゃんと残っているのかもしれないけど、思い出せない今は損した気分になっている。んーまぁ、だから基本的に過去についてはあまり触れないようにしている。孤独の時間というのは誰とも分かち合えないので捏造し放題で、口にするにも覚えてないもんだから、その可能性がないとは言えない。誰にもバレない嘘になる訳だけど、絶対嫌だ。ということで今の所はっきり覚えていることしか公では話していないと思う。メンバーや家族も含めて。だけど話してきた事すらも自分の想像で、錯覚しっぱなしだったとしたら、本当にもういよいよだなぁ。



自分の望む方へ舵を切るには、想像や言葉、行動にするしかない。体現してなじませるしかないと思ってる。多少虚偽も含まれると思う。どこまでが本当で、どこからが偽りだったかなんて今更まるで検討もつかない。全部本当かもしれないし、全部嘘だったかもしれないし。俺は限りなく本当を選んで生きて来たと思っているけど、それを証明する手立てがないのだから。わざわざそれに目を向ける必要もなかったんだろうけど、もう遅い。



改行して次に書く文字を悩み始めたのでここで終わりにする。ここに割く時間はそもそもない。今はない。いつか続きを書くかもしれないけれど、この決着は別の所でつけた方が良い気がする、嫌な気持ちにさせたらごめん。



昨夜完徹からの二徹目。「二徹」という刀かなんかありそうでカッコ良い。元気なんだけど、この文章から「元気」と言われてもと思うかもしれないなぁ。いや元気なんだけども。なんだかなぁ。
2015.12.15

/ 松本大

こんばんは。お風呂にいます。

寒くなってきましたね。なんてこの先何度言うのだろう。



「年々寒くなってきている気がする」と誰だったかに話していた時、「それは年だよ」と言われてしまったのが衝撃だったつい先日。大人になりたいなんて言っていた松本少年よ、時はすぐにやってくるぞ。23歳になる頃には色々悟っているフリをしだすぞ。



だけど、最近は未来の計画を立てる事が少し切なかったりします。いついつまでに何をしよう、あれやってみたい、じゃあこの時期まで何がどれだけ必要か。そりゃーワクワクもするのだけども。回復する事のないマジックポイントを使っていくような感覚。あとこれだけしかないのかー、と。こう、好きな事を続けていると、なんだかそんな感じがするのです。そんな事考えたって仕方ないし、歩いている時は夢中だし、うん。なんとなく、計画を立てる時だけに訪れる、静かな気持ちです。決してネガティヴな訳ではないと思いたい。だからこそ「後悔したくねぇ」とか意気込んだりするんだし。でも今年はあんまり上手くいかない事もあったりして、2倍落ち込んだりしてたかも。



ここで気付いたけど、今日は本当にどうでもいい事しか書いていないかもしれない。



色々とここでしか書けない事を書いておこうかなぁなんて思ったけど、後で「失敗した!」と思いそうなので今10行くらい消しました。こういう文章とかって本当にもうなんなの。どうして便利になってしまったの。手軽に言葉を並べられる代わりに落胆する回数も増えていると思う。こんなに便利じゃなければ、無駄に躓かずに済んだ気がします。というのもないものねだりですか。ですね。便利でよかった事もたくさんあるもんね。おお、書けば書くほど明日起きたら「うわぁ...」となりそうな気がしてきたぞ。



年が明けたら新曲もライブでやるのかな。ワクワクするけど同じくらい不安になったりする。先人達が言っていたような感覚はこれなのかな。「なぜなぜ不安になろうものか、自信を持って損はなかろう」と気を大きくしていた頃もありましたが、大切にすればするほど不安になったりするものなのでしょうか。誰かとお付き合いなんてしたら重くなってしまうのでしょうか。大切にすればするほどちょっとした事で嫉妬したりするのかしら。面倒くせぇ......、そんな自分は想像したくないなぁ。というかそもそもこの考えが既に面倒なのではないだろうか。この記事アップするのはやめておこうか。いやせっかく書いたじゃないか。



日々こういうどうでもいい問答が繰り広げられている。そこにはいっつも答えがない。なくてもいいか。どうでもいいもんな。



んー、やっぱりこういうの苦手かもしれないな。便利なものは苦手かもしれない。そう思いたいだけなのかもしれない。そういう自分でいたいだけかもしれない。どうなんでしょう。音楽があってよかったねってよく言われるけど本当にね。その通りかもしれないね。






最近ツアーで回転扉のホテルに泊まったのだけど、あれはオシャレ以外のなんなのか未だに解明できずにいる。試しに物凄い勢いで押してみて、興味本位でぐるぐる走ってみた。普通に危なかった。1度力を入れてあげれば、摩擦が効くまで勝手に回り続けるあれは便利なのだろうか。ただのオシャレにだとしたらリスキーなオシャレだなぁ。危ないし。だからまぁ、真似しないでくださいね。もしもそのせいで怪我してライブに来られなくなりましたーなんてなったら悲しすぎるからね。僕も怪我には気を付けますので。もうしません。





よし。手もお爺ちゃんみたいになってきたし、お風呂あがるか。お風呂はいいね。お風呂があってよかったね。



今月は今年の中でも1番調子が良いかもしれない。風邪引かずにいきたいな。次更新する時は年明けかなぁ。なんか日記の題材にして欲しい事とかあったらお便り送ってくれたらやってみたりするかもしれない。この記事も駄文かもしれないし、それでもよければだけど。おやすみ。



あ、もう昨日になっちゃったけど健仁誕生日おめでとう。



おやすみ。

2015.11.29

お久しぶりです。 / 松本大


ありとあらゆるタイミングを逃してきたブログの更新。

お久しぶりです。ボーカルです。

下手したら今後、僕が書くブログのタイトルは全て「お久しぶりです」になるのではないか、という妙な不安。



SNS然り、僕はこういうの本当に向いてないんだと思います。歌詞は書く時は考え抜いてしまうのに、能天気にぽんっと呟いている事が、というよりはそれが皆に届くというのがなんだかなぁと思うのです。という点においてはブログは大丈夫か。たまになら。



いや、こんな話がしたいんじゃない。




真ちゃんがバンドに帰ってきた事や、初ワンマンツアーなど書くタイミングなら山程あったであろうに、チョレギサラダの事ばっかり考えていて更新が滞ってしまった事、本当に申し訳ない。



しかしながら健仁や真ちゃんが更新してくれたっていいだろうに。真ちゃんに至ってはまだ一度も書いておらんので、これを機にここでケツを叩きましょう。早く書きなさい、と。






さて。びっくりするぐらい曲が書けない半年間でしたが、最近ようやくちらほら書けてきています。前にも書いている風な事をツイッターかどこかで言った気もするけど、一曲まるまる書き上げてから「書けた」というべきだった。



ワンマンツアーが終わってから約2週間ほど、ひとりで制作活動をする期間を貰っていて、せこせこやっていたのですが、少し調子を取り戻したのかも。



少しそれについて話すと、書いている僕自身はとても新しい感触で新曲達に触れています。それを模索していたのかもしれないけれど。何かを届ける存在なのだから、ここにしか存在し得ないものを届けたいと思うようになってしまいました。今まで通りなんだけど、今まで以上に。僕が音楽を鳴らす事に意味はあるのかなぁ、とか。よくわからない問答を繰り広げた半年間でした。



そりゃあ自分の言葉で、自分の声で、自分達の音で鳴らせば紛れもなくそこでしかあり得ない物ではあるのだけど、そうじゃない。伝わりづらいかもしれないけど、ある意味初めて自分自身を認めるための言葉ではなく、自分自身を認めた上で言葉や歌を紡いでいるような。伝わるかなぁこの感じ。



まぁでもこれ以上話すと、楽しみなくなっちゃうかもしれないのでね。良い曲が書けています。楽しみにしていてください。





うん。本当は今日の昼からめちゃくちゃ腰が痛くて、本当に痛くて、そいつをネタにしてやろうと企んで、お風呂に入りながら携帯に文字を打ち込んでいたのに、書き始めの本当に序盤に痛みが引いていくという悔しい思いをしました。人生初ギックリ腰だぁなんて、本当に笑えるほどの痛みを抱えて浮かれていた(正直凹んでいた)のにな。一応ね、整体とかね、明日明後日にでも行ってみようかな。



ああ、本当は何を書くつもりだったんだっけ。もうちょっと面白おかしく書くつもりだったのになぁ。




そうだ。チョレギサラダ。家の近くにあるコンビニでたまにご飯を買うとき、日に日に俺のお気に入りが減っていく気がするのです。



豚まんに始まり、チョレギサラダや他にもパンとかたくさんあったと思う。

気に入った頃に幕引きやがる近所のコンビニに一度物申したい。俺のお気に入りを棚に並べてくれ。

2015.08.25

高速道路にて。 / 松本大

高速道路にジャイアンがいた。あれはジャイアンだと思う。

ジャイアンを前に周囲の車たちは次々とスピードを落とし、道を開けるのだ。



それはもう「モーセの十戒」のように。






ジャイアンはまぁまぁなスピードを出して走っていた。

110km/hくらいだろうか、メーター見た感じ。

そのくせ我々がそのぐらいのスピードで走れば、きっと赤く光って怒る。



しかもだ。奴はこの一帯から離れようとしない。

スピードを上げては、スピードを落として戻って来る。



そうか。釣っているのだな我々を。



掛かろうもんなら紋所を掲げて取り締まるに違いない。

その手には乗らない。俺は運転もせず、ひとり黙々と妄想を展開している。

そもそも俺には免許がない。ドライバーの気持ちなんて知らないのだ。



原動付自転車乗りの気持ちしかわからない。



ああそうだ。ジャイアンはここにでもいるじゃないか。

自分が鋼の車体に守られているのを良い事に、剥き出しの我々を後ろから煽ってくるあいつら。

スピードが遅いのは最早仕方がない。ルールですから。




話を戻す。



そんなこんなで高速道路のGは今、僕の目の前にいる。



車4台の縦列の先頭にいる。





なんだこれ。RPGか。

高速道路2車線で、片方に一列に並んで走る車達。おかしな光景。






ああーーーーーっと!!!!



今まさに列から3台目の車が追い越し車線に入った!!

抜くのかGを!!ついにいくのか!!とても勇敢だ!!讃えたい!!



おおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!




いけえええええええええええええええ!!!!!!





えええええええぇぇぇぇぇ...............





.............................。。。。。






............刹那、Gは華麗に高速を降りて行った。




平安が訪れた。隣でドライバーも「よしっ」とか言ってホッとしている様子。

水を得た魚みたいだ。皆それぞれ自由なドライビングで広がっていく。



ああ、Gが走り去っていくよ。いってしまえ。もう。




なんだこのやりきれない気持ちは。

抱えているのは俺だけなのか。

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ



今日は名古屋。

2015.06.15

探査船『LIFE PROBE号』について / 松本大

すぐだった。気付いたら。もうあと半月もすればリリースなんだね。

今日は『LIFE PROBE』というニューアルバムについて。



先に断っておくと、これは僕ひとりの文章です。

こういうのはインタビューを読むとさらに面白いと思う。

当事者の僕も、第三者の視点で気付く事がとても多いから。



あと、1曲1曲の想いみたいなもんはまた後日、

なんらかでやらねばならない事になりそうだし、

まだリリースまで半月あるし、ここでは詳しく書かない事にします。



あ、でも別にこれ、君たちは全然気にしなくていい文章です。作り手のこととか。

興味がある人のために書いてみてます。実際、何も知らずに聴いてもらって、

そこで生まれる純粋な想いの方が尊いと思うので。



なので、「先入観持って楽しめなくなるわい!」って人は読まない事を勧めます。

気になる人はぐーーーーっと下へお願いします。笑



































































よし。では。



単刀直入に言うと、このアルバムを作り終えて気付いた事が沢山あります。



そもそもアルバムのレコーディングやるよって決まった時点では

「色んな景色が見えるアルバムにしようぜ」という事だけしか頭になかった。



だけどたぶん、心というものは見えないから、きっとそれを通すとまた違ってくる。

そこから曲を書いてって、できたアルバムは気が付いたら「根幹」でした。



僕はとても理屈っぽいです。何かしら意味を持っておきたい。

言わないにしろ、自分だけは言葉をそこに置く意味とか、なぜなぜこんな雰囲気になったのか、

とかちゃんと持っていたいと思ってしまいます。



1枚目の『PORTAL HEART』は心の星に街を作るように。

2枚目だけど本当は昔っからある曲達の『silver lining』は心の星ができていくような。

今回の『LIFE PROBE』は、その心の星から飛び出すロケットでした。

聴く人の心の星に飛ぶロケット。まだ見ぬ先に飛ばすロケット。



俺らが届ける側として、一番最初に置いておきたい3部作みたいな。




前の2枚は自分から自分にって曲、自分の世界で見える景色の曲しかなかったけど、今回はこの唄の先に皆がいました。

そう思えるようになったのは「林檎の理」という曲を書いていた時だったと思う。去年の9月か10月くらいか。

おかげでこの3年強、テーマだけ持ち続けて一向に曲にならなかった「メイ」の最後のピースにもなった。



実際、楽しくて始めたこのバンドも今年9年目で、その間「伝えたいがためにやっていたか?」と問われると

YESとは嘘でも言えない。伝えたい事なんて何にもなかった。音を鳴らしているのがただ楽しかった。

初めて曲を書いてみて、それを自分で聴くのがまた嬉しくて、上京してからライヴってものをちゃんと始めて、

皆と共有する空間が物凄く楽しくて、



その先で「俺は誰に唄ってんだっけ」という問題が出てきた。





いやぁびっくらこいた。君たちに貰ってばっかりだった。

勝手に楽しくなってった。楽しいって思わせてくれた。

だからって、それを返せるように曲を書く訳じゃない。



これは俺らにしかできない音楽で、俺らにしかない正しさです。

今までもそうだったけど、今作はもっとそうなった。聴き手がいるっていう意識が加わっただけで。

だから届けたい唄を書きました。それを今、届けておきたかったから。




これを根底に置いておきたかった。俺が忘れない為にも。

だから今とても自由です。どこにでも行ける気がする。核がある。心臓がある。



それを中心に、俺らはもっと色んな世界を見る事ができる。

行く先々でもちゃんと自分だから。



このアルバムを作ったって事を過去にできてよかった。



僕らの唄が、君と一緒に見る世界がとても楽しみです。

それをライヴに持ってきてくださいね。

唯一、僕らがひとつになれる世界がライヴだって気がするので。




2015.05.28

ゼロ。 / 松本大

こんばんは。澱みなく言葉が頭を駆け巡っていて、これは言葉にしておくと後でなんらかの為になるかもしれないな、とかなんとか思い、しかしノートもない事に気付き、でもメモに残しておくのは違うな、と歌詞にもできない文字も書けないのでこのブログを使わせていただく事にする。買いに行けよ、ノートぐらい。



しかしながら駆け巡っていたのは20分ほど過去であって、もしかしたら嵐は通り過ぎつつあるかもしれない。逆にもっと暴走するかもしれない。フィーバータイムが終わっていたら短くなると思います。長くなっても添削します。「気がする」だけの話なので、あまり意味はないかもしれない。



「増えたら減る」気がする、という事について。基本的に便利が増えると、その便利に呑まれつつ、それでいいのかと交互に繰り返すのが僕のスタイルになります。便利というのは知恵を殺す気がするからどうしても斜に構えてしまいがちになる。便利のために知恵は沢山使われるけど、完成された便利をただ使っているだけの自分にとって、その時点で何かを失っている気がする。便利品を使うと自ら考える事が減る。これは結局ゼロだと思う。手に入れると何か失う。言葉にした時点で言葉にしなかった想いが消える。たまたま言葉に選べたものが自分が本当に届けたかった想いと違ったら、とか。



逆も然り。何か失うと、「失った」という過去を手にする。結局ゼロだと思う。これは「メイ」という曲の歌詞を書いている時にも考えてた。何も失っていないと書きました。自分の証について書いた歌詞であって、そこにたまたま登場した証明の手段みたいな物ですけど。それはとりあえず置いといて。ここでいうゼロというのは無じゃなくて均衡の意です。プラスマイナスゼロのゼロ。



世界全てに対してそう思う。人が増えれば場所が減る。ビルを建てれば自然が減る。時間が増えれば命は減る。ビルとか家とか建てるにしても、全部この地球の上で起きてる。資源はこの星の物を使ってる。そりゃあ自然は減る。鉄を精製すればそれ以外はゴミになる。生地を模るとそこに収まらなかったものは大抵三角コーナーにいく。人が増えれば食料は減る。ここにあるもの使ってるんだから、そこにあったもんは確実に減ってる。生命に対しても思う。人間以外の生物には言語がない。だから人ほど多様な感情はないように思う。余計な所まで行かずに済む。それは相対的に平等になると思う。俺は皆の知らない苦しみの中で生きて、その中で幸せな事もあって、逆も然り。現実離れしてるかもしれないけど、未来も含める事にしてる。今が死ぬほど詰まらん日々だとしたら未来でその分返ってきてほしい。平等にできるかできないかだと思う。そして何に幸せを感じるかにもよる。



便利でいうところ、今は得した気分になっているし、便利になったから使わなくなった知恵について今のところ何の不自由もないし、結局プラスに思えてくる。でもきっとあれだろうな。10年後とかに束になってかかってくるんだろうな。借金は返済しなければ利息がついて大変な目に合うのと同じように。



この考え方を押し付ける気は一切ない。ただ俺がそう思うだけ。というかそうであってほしいと願いたいだけ。幸福の絶対値はあると思う。どこに幸せがあるかは人によって違うけど。そのそれぞれを受け入れられるのは自分しかいない。皆と同じだと決め込んで安心したいとかじゃないんです。自分が特別だと思えないだけ。ゼロには何を掛けてもゼロになる。



増えたら減るというのは結局増えても減ってもいないのと同じだと思う。宇宙ができる前があったかどうかはわからないけど、もし無かったとしたら確実にこの世界は無に帰る。今は計算の途中で存在しているだけ。ゼロに何かを掛けているだけ。だから結局ゼロになる。掛ける物はどこから来たのかというツッコミはとりあえず置いといて。



答えを出す気はない。なんとなく考えてみただけです。何個も矛盾があるかも。あったらごめん。ひたすら考えながら書いていたから。




なんというか、結局地球の上で増えたり減ったりを繰り返して、質量は結局変わらなくて、突き詰めて広い目で見ればもう何のために存在しているかわからない。身近な物、限られた一生の中でだけ自分にとって価値が生まれるだけで、何をしても実は何のためにもなってない。誰に評価されても、その評価に意味なんてあるのかな。いつかは居なくなるのに。今、生きていくためには必要不可欠なもの。仕事しないとお金もらえないし、お金ないと食べていけないし、住む場所も与えられないから。でもお金とか法律とかってのも誰かの取り決めであって、そもそもからおかしい。なんかおかしい。



もうやめよう。答えは出ない。出す気もなかった。ちょっと先の未来で、この文を読むときに何かしらひとつでも発見があればいい。



結局全部無意味だと思う。どれだけ足掻いてもいつかは居なくなる訳だから。ただ、居なくなる前の今、生きている今、自分が幸せになる為だけに意味を持たせようとしてる。できれば喜んでいたいから。今はそれでいいや。



よくわからない文章に付き合わせてしまってごめんなさい。悲観な訳ではなくかなり前向きです。かなり。面白かったし。再度言い直すとよくわからない文章に付き合ってくれてありがとう。変だなぁ。

2015.05.27

真実と。 / 松本大

やられた。



うちには犬がいます。名前は「トゥルー」という。犬種はミニチュアダックスフント。女の子。口癖は「フゴッ」。今年17歳になるか。



たしか俺が幼稚園だったか、小学校だったかの頃に「犬飼いてえ」とかせびったのだと思う。人間年齢でいくと今84歳ぐらいらしい。



幼少期はとにかく落ち着きがなかった。好奇心が旺盛すぎた。知らない場所はいつまでもウロウロ。知らない人には けたたましく吠え倒し、なんでも食べる。本当になんでも食べる。それ以外にも多々迷惑をかけられた。今も。かくかくしかじかで今は熊本にある実家から、遠路遥々上京してきた。



おばあちゃんになった今、飛び跳ねたり駆けずり回ることはなくなったものの、ウロウロしたり吠えたりというのは健在で、まさに今、近所の公園の一角でよたよたウロウロしている。今思えば落ち着きがないというより、臆病だったのかな。いや、そうだな。その方がしっくりくる。



それ以外に変わったことと言えば、白内障で目が見えていないこと、耳が一切聞こえていないことかなぁ。たぶんこの子は嗅覚だけを頼りに生きてる。嗅覚だけで俺を認識してる。




そんな彼女をなぜ公園に連れてきたかというと、今、干しています。干すという表現が1番適していると思う。



今日の仕事は確認作業がひとつだけだった。アルバムのジャケットの確認。これはかなり良い出来だと思う。7月1日をお楽しみに。



マネージャーと昼ご飯を食べて帰宅するとその惨事は広がっていた。






まず目に飛び込んできた物をすぐに理解できた。鶏肉が食い散らかされていた。



リビング一帯に広がる肉片と、おそらく油分が原因と思われる足跡。あと排泄物。パックの残骸。残されていた大根が惨劇をさらに強調して見えた。



トイレだけならよくある事だった。年を取ってから、外に出る事を極端に拒んできた彼女は、基本家の中から動かない。家が落ち着くんだと思う。なので狙いはよく外すものの、シートを用意していた。トイレ用の。というかその生活に慣れてしまった俺も、外はいいかとかどこかで思ってた。良くねぇな。逆に自分が犬だったとして、牢獄に思えてきそう。どうなんだろう。それより怖いが勝つのかな。しかしまぁ今日はまぁー酷かった。まぁ酷かった。まぁ。



とりあえず風呂に突っ込んで、部屋は雑に片した。シャワーで洗う、見境なく食べ物を詰め込んで張ったお腹が更に苛立ちを増幅させる、もう面倒くさくなっていつもならドライヤーで乾かしてやるところ、公園で干すに至っています。



そもそも鶏肉ってどうなのよ。ナマで食うってどうなのよ。ヤバいんじゃないかなぁ。けど今まで、玉ねぎ食ってもチョコ食っても平気そうだったし大丈夫かなぁ。それら全部吐いてたけど。今日もいつも通り吐いてたけど。じゃあ食うなよ。わかんねぇかそんなの。わかんねぇよなぁ。



公園まで来る途中、すれ違った人が皆心配そうな目をしていた。捨てに行く訳じゃねぇよヅラで、抱えたびしょ濡れの毛むくじゃらを公園に連れてきた。今日は晴れてるから悲惨な姿はなお際立ったと思う。




さて、未だ目の前をウロウロしているこの愛犬。たまにしか会わない時はその一瞬一瞬がとても愛おしかった。今目の前にいるのに切なくなるくらい。両親に対しても同じ感情があったと思う。しかしいざ一緒に住んでみるとこれがまた大変なのです。前述の通りです。けど今改まってみるととても切ない。こういうことを改めないと考えにすら至らない自分に歯痒くもなる。



色のない世界はどんな感じなんだろう。音のない世界はどんな感じなんだろう。お前に声が届かない俺の世界は今、お前がよくわかんねぇ中で生きてるのとは打って変わって、形が見えるぐらいに確かな感情に取り囲まれているよ。



いつか俺もお前と同じ事を体験する日が来るかもしれない。体験しないまま死ぬかもしれない。終点は同じところにある。



勝手に教わってるよ。この感情も、現実も。今までも、今もそう。そんでお前が居なくなる時にまたひとつ教わる事があると思う。居なくなるのは俺の方が先かもね。わかんないからね。



とにもかくにも今、生きていてくれてありがとう。って言っておきながらまたいつもの日々に戻ると思う。俺は面倒くさがるし、君は家から出ることも、シャワーも嫌がると思う。



忘れないように努力するよ。あの頃爪先立ちばっかりして、見栄ばっかり張ってた俺の近くで「真実」って名付けた君と出会えましたから。色んな物貰ったから返せるように努めます。ていうか割と気にかけてるけどねお前のこと。



うお、すっげぇでけぇ犬が来た。お前には見えんだろうがすげぇでけぇ。帰ろう。乾いたね。帰ろう帰ろう。



夕方だったからともいうのもあるのか、気付いたら鼻歌が緑閃光だった。自分の曲かよ。

2015.05.19

ボイド / 歌詞 / 松本大

ボイド



空の向こうには 何が広がって

どんな風に僕らが 見えているんだろう

いつからか本気で 伸ばしていた手は

どこにも届かないで 風だけを掬った



あなたが笑えば 灯りは灯って

そのぐらい簡単な僕の世界が

誰かの手のひらで踊っていたとして

その手を返すと どこへ落ちるんだろう



きっと

あなたまで 泳ぎ切るなんて

また 夢みたいな話

僕はただ 見上げていたんだ

手を伸ばしていた




僕らは上手に 飛び跳ねてみても

鳥の様に 高く飛べないと解っていた



ならば 海を泳ぐように 自由にと

頭を使っても 踏み出せはしないまま



きっと

あなたまで 泳ぎ切るなんて

ただ 夢みたいな話

僕はまたも 見上げてしまうよ

果てなどない空を



与えられた物だけでは

足りないなんて

繰り返している空に溢した

何にもなれずに




空は笑って 晴れ渡っている

とてもじゃないが 笑えないよ 本当はずっと

心はずっと 俯いていた



思い出した



あなたに照らされてしまった

ここに落ちてきてしまった

僕は



泳ぎ切れない距離でいいんだ

このまま 眺めているよ



きっと 僕が何を手にしても

それでも 見上げてしまうんだ

空の機嫌が 移り変わるように

僕の世界を 繋いでいくように



2014.07.29





メモに残っていたので、この歌詞を書き上げた日付も書いておきます。

完成したのは夏の日だった。日付の2日後くらいにレコーディングが終了したんだったかな。

届くまでに一年掛かった。やっとリリース。リリース感はまだないけど。笑

たくさん聴かれるといいな。よろしくお願いします。

2015.04.07

回転する。 / 松本大


こんちはー。相変わらず読みづらい俺のブログ。定着しつつあるでしょうか。最近あったかかったのに今日だけ急に寒くなるもんだからもうびっくりしてますよ。薄着はつらい。

さて、Twitter等でかなり更新されてるんでもう知ってらっしゃるでしょう。というかTwitterで呟かれた情報によってこのブログへ導かれる人も多数いらっしゃると思いますが、ホームページは割とちゃっちゃと更新してると思いますんで定期的に見ていると、見逃した情報があるかもしれないよ。脱線した。音源製作中です。ずーっと製作中ではありましたが、5段階中の4段階目ぐらいかな。つまりかなり佳境です。リズム隊は先日予定されている全ての録音が終了し、残すは俺の作業のみです。ね。佳境でしょ?と言ってもここからまだまだ時間がかかるし、俺も現段階でどこまで言っていいのかわかんねぇんだけど。もしかしたら「結構レコーディング終わってますとか」も言っちゃダメなのかも(笑)まぁいいや。いつ発表できるかーとかも知らないし、どうなるかわかんないんだけど、新曲良い感じですよ。近い将来お届けできるかな。東阪自主企画ツーマンは来ておいた方がいいのかもしれないね。これはちょっとヒントだね。ライブについてはホームページの情報を参考にしてくれ。

レコーディングとライブが布織り込んでるみたいに交互にあって、更には撮影云々も入ってくるらしいのでまぁ最近はずーっと怒涛の日々なんだけど、そこまで体力消耗してないし、適度に息抜きしてるし、何よりこの日々が楽しいので、逆にこれだけ回転が速い日々をどう忘れずにこういうブログとかに書いてやろうかとか思ってんだけど、結局あんまり覚えてなくて、なんなら文字にする事が面倒になったりしてる。うちのスタッフの面白いブログでカバーされてっからまぁいいか。

また何かしら報告できる事あったら書きます。とりあえず元気です。
2015.02.19

わあ。 / 松本大

 こんばんは。最近ずっと新しい音源について考えていたりします。



 ちょくちょくライブで新しい曲やったりしているので、まぁそろそろお知らせあるんじゃない?と思っている人もいるかもしれませんが、僕らまだ「silver lining」をリリースして一ヶ月弱しか経っていないのです。でも最近お知らせがものすごく多いので結構昔の事のように思えたりもするんだけどね。でしょ。近い過去は遠く感じるのに、きっと2015年が終わる頃には「あっという間だった」とか言うんだろうな。



 まぁ最近お知らせがあった曲から話しますか。「ボイド」という新曲が映画の主題歌をやる事になりました。リリースしてから一ヶ月でもう新曲か!と思った人もいらっしゃるでしょう。僕も思いました。だけどね。「silver lining」には過去の曲しか入っていないので、実質僕らは新曲をリリースしていない事になります。それに、この「ボイド」という曲はメジャーとしての初仕事でもあったんです。去年の夏ぐらいにレコーディングをしていたので、「PORTAL HEART」をリリースしてからすぐだった。実際発表するまであっという間に思えるからまぁ時間というのはそういう物かもしれない。



 曲の中身については、まだ皆フルで音源聴けてないだろうし、これから先もしかしたらリリースとかになるかもしれないからあんまり書かない事にします。個人的には人生で初めて書いた曲以来のラブソングだと思っています。僕の場合ラブソングというのは「誰かの事を強く思って歌詞を書く」という事だと思っているので、普段あんまり書けません。結局、歌詞の世界だったり、その時の気持ちだったりが具現化される事が多いので、「誰かに対して書く」というケースは非常に少ない。だって8年ぶりくらいになる訳だし。もしかしたら最初で最後かもしれないし。まぁ「ボイド」に関しては「気付いたら書いてた」みたいな感じだったけど。何はともあれお楽しみに。この間ライブで初披露だったし、また近いうちに聴けるかもしれないね。



 さて、その他ぼちぼち曲書けました。最近スタジオでアレンジアレンジしています。自分達で音源作って聴いたりしていますが、まぁー大変。良すぎて大変。みんな超名曲。うん。今年中には出せる、と思う。信用はしないでくれ。ただ今年中には出したい。という意思はある。この名曲達を一番良い形でお届けしたい。やったります。





 ここからはどうでもいい話。定期的に見る夢があります。気付いたら四畳半ぐらいの何もない暗い部屋の中で体操座りしていました。その部屋は瞬きの度に大きくなっていき、次第に果てのない巨大な空間になって、その真ん中でひたすら体育座りをしている。どこかで「ガタン」と音がする。すると黒い球体が降ってきて、そのおかしな球体に追いかけ回されるという夢。とても恐ろしいのに、その夢だけは、夢の中で「またこの夢か」と思えず、ひたすら初めましての感覚で「なんだこれ」と思いながら追い回される。起きて「またこれか」と思う。なぜそんな夢を見るのか、なんで毎回知らない夢の感覚なのか解らないけど、覚えているという事は何かしら自分に作用しているという事で、つまり自分という物体のひとつを担っているという事で、これも自分という存在なのかと思うと、不思議な気持ちになるし、なぜか面白い。見たくはないけど見れてよかったかな。しかしもう少しいい感じの夢は見れないものかね。