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2016.01.24

雑記。 / 松本大

思いっきり立ちはだかった壁に対して攻略法を模索し続けているのだけども、いよいよの所まで来たので一度整理も兼ねてこれを書いてみる。その「いよいよのところ」というのもむしろ悪い方に働いているので、現状かなりヤバい。というのも相手は「歌詞」なのである。


20歳を迎えて以降、一度として悩まずに書けた事はない。だから今、10代の力は不思議だなぁと思う。昔は石油王のように掘り当てていた気がする。まぁ書きたい事はいくらでもあるのだけど、ひとつに対する価値観が変わったのかもしれない。10代の頃は「恐れ」とか「悩み」とかなかったし、なにより世界はとても広かった。何も知らない、というか何もない。だから思い浮かぶ全ての事や感情を言葉にしては街を建てていた。それもそれで良かったんだと思うけど、いつからかその街に住み始めたのかなとも思う。世界は広いのだから、街に腰を落ち着かせていても景色はそこまで変わらない。「当然」という言葉がよく似合う。開拓せねば。


あとでその時期の事を忘れないように歌詞を書き始めた日付も一緒に残すようにしているのだけど、今書き終えなければならないこの歌詞なんて、日付が去年の5月になっている。意味がわからない。その曲の心臓は一度もぶれていないのだけど、少し自分を疑ってしまう。


物覚えはとても良い(と思う)のに、自分の事となると途端に覚えていられない事が多くなる。「あれ、俺そんな事言ったっけ」とか何回言ったかな。発言だけじゃなく、自分の歴史に於いても抜け落ちている事が多い。特に10代後半の記憶がほとんどない。抜け落ちているというよりは削除したのかもしれない。もしくは記憶に残るほどのものでもなかったか。どちらにしてもすごくもったいない事をした。人生は一度きりで、あの頃を取り戻す事はできない。ほぼ平等に時間は流れていくのだから、取り戻すも何もちゃんと残っているのかもしれないけど、思い出せない今は損した気分になっている。んーまぁ、だから基本的に過去についてはあまり触れないようにしている。孤独の時間というのは誰とも分かち合えないので捏造し放題で、口にするにも覚えてないもんだから、その可能性がないとは言えない。誰にもバレない嘘になる訳だけど、絶対嫌だ。ということで今の所はっきり覚えていることしか公では話していないと思う。メンバーや家族も含めて。だけど話してきた事すらも自分の想像で、錯覚しっぱなしだったとしたら、本当にもういよいよだなぁ。



自分の望む方へ舵を切るには、想像や言葉、行動にするしかない。体現してなじませるしかないと思ってる。多少虚偽も含まれると思う。どこまでが本当で、どこからが偽りだったかなんて今更まるで検討もつかない。全部本当かもしれないし、全部嘘だったかもしれないし。俺は限りなく本当を選んで生きて来たと思っているけど、それを証明する手立てがないのだから。わざわざそれに目を向ける必要もなかったんだろうけど、もう遅い。



改行して次に書く文字を悩み始めたのでここで終わりにする。ここに割く時間はそもそもない。今はない。いつか続きを書くかもしれないけれど、この決着は別の所でつけた方が良い気がする、嫌な気持ちにさせたらごめん。



昨夜完徹からの二徹目。「二徹」という刀かなんかありそうでカッコ良い。元気なんだけど、この文章から「元気」と言われてもと思うかもしれないなぁ。いや元気なんだけども。なんだかなぁ。